【武将印】織田信長・三法師(織田秀信)
【御城印】紀伊岩倉城
織田秀信公ゆかりの地〜紀州橋本善福寺跡〜
織田秀信公は織田信長の嫡孫で幼名を三法師と称しました。
慶長五年の関ヶ原の戦いでは西軍に味方して敗れ円徳寺に入って剃髪します。高野山に入り程なく下山し向副村に閑居しますが慶長十年五月八日に生涯を閉じます。
岩倉城は地元では「隅田城」と呼ばれ、丘陵の先端に築かれ規模も小さくて居館に近い城かもしれませんが、城の遺構は良く残っています。
戦国時代、隅田党は天正元年に畠山昭高が死去した後は織田信長に仕えて高野攻めにも参陣。その後は豊臣秀吉に仕えたと云われています。
高野山奥の院にも織田秀信、織田信長公の供養塔が遺っています。