【坂本城と明智光秀】
織田信長と家臣団の城をテーマにしました。
織田信長は、比叡山と湖南・湖西地方をおさえるために、交通の要所である坂本の地に、元亀2年(1571年)に明智光秀に坂本城を築かせました。
琵琶湖の湖岸に大天守と小天守をもつ豪壮絢爛な水城を建て、その姿は宣教師フロイスの書に安土城に次ぐ城であったと記されました。
光秀は天正10年(1582年)の本能寺の変で信長を討ちましたが、直後の山崎の戦いにおいて羽柴秀吉に敗れて自刃しました。その翌日、重臣の明智秀満が光秀の一族と共に城に火を放ち自害し、坂本城は焼失しました。その後、丹羽長秀によって坂本城は再建されましたが、秀吉が浅野長政に命じて大津城を築城した天正14年(1586年)頃に廃城になりました。
坂本は、城の石垣などを作った穴太衆と呼ばれる石工集団の出身地としても知られています。
比叡山延暦寺の門前町でもあった坂本で、僧侶の住居として使われていた里坊には穴太衆の石垣が残されています。
第五弾は織田信長支配の近江拠点の支城としての役割を持つ坂本城と、信長の家臣明智光秀の武将印をセットにしました。